このサイトを設立しようと考えたキッカケは、私が以前利用していたターゲット用のアプリが嫌いだったからです。
そのアプリの名前は存じ上げませんが、シリーズを刊行している企業、つまり「公式」がプログラムしたアプリなのですから、それはもう人気でしょう。AppStoreを見てみても、抜群の評価でしたよ、ええ。
しかし、忘れてはならないことがあります。その「こと」とは、「企業が開発している」ということです。それすなわち、「営利目的」でリリースしていることです。そうです、いわゆる「課金」です。その「課金」をすることで、未課金のユーザーとの差別化を図り、未解放の機能をアンロックできるのが、「公式」のやり方です。
果たしてその方法は、「良いやり方」と言えるのか? そこを私は問いたいのです。
もちろん、企業が利益を追求すること自体を否定するつもりはありません。開発には人件費もサーバー代もかかりますし、ボランティアではないのですから、対価を求めるのは当然の経済活動です。
しかし、それが「教育」や「自己投資」の領域、とりわけ「学生が自らの未来を切り拓くための学習ツール」となった瞬間、話は別だと思うのです。
経済的な余裕がある家庭の子供はフル機能で効率よく学び、そうでない家庭の子供は制限された機能のなかで不便を強いられる。これでは、教育の機会均等という大原則が、アプリの課金システムという小さな壁によって脅かされていることになります。学びたいという純粋な意欲を持つすべての人が、等しく最高の環境で学べるべきではないでしょうか。
「お金を払わなければ、効率的な学習は提供しない」
そんな無言のメッセージを感じてしまうシステムに、私はどうしても違和感を拭えませんでした。
何より、テクノロジーを使って人々の生活を豊かにし、課題を解決するはずの技術が、お金の有無によって学びの格差を生み出す道具として使われている。その構造自体が、プログラマーである私にはどうしても許せなかったのです。
プログラマーとしての使命
そして同時に、強い使命感が芽生えました。
「公式がやらないのであれば、プログラマーである私が作ればいい」
こうして私は、完全無料で、一切の機能制限も広告によるストレスもない、純粋な学習のためのサイトを設立することを決意しました。
私が目指すのは、ただの「代替アプリ」ではありません。課金という概念そのものを排除し、誰もが平等に、自らの努力だけで学力を伸ばしていける「学びの聖地」です。このサイトを通じて、一人でも多くの学習者がお金の心配をすることなく、自らの目標に向かって突き進めるようになることを心から願っています。